仕組み
GHGプロトコルは企業排出権取引制度の基礎となるデータモデルでもある。スコープ1は製造施設のボイラーや車両の直接燃焼による排出、スコープ2は購入した電力・蒸気・冷却に含まれる排出、スコープ3はモノの製造から輸送、使用、廃棄に至るまでの間接排出を対象とする。
各スコープの測定には異なるデータソースと換算係数が必要となる。スコープ1は計量測定値とエネルギー単位の積から計算する。スコープ2は購入電力量に電力網のCO2換算係数を掛ける。この係数は国ごと、年ごとに異なり、IEAやデータベースプロバイダーから調達される。スコープ3は最も複雑であり、15のカテゴリに分かれ、各カテゴリでスコープ1または2の方法を応用する。
監基報630号はこうした測定プロセスの設計と運用の適切性の評価を求めている。特に換算係数の源泉と妥当性、データギャップへの対応、および異常値の検出と検証が重要となる。
実例:田中機械製作所
クライアント:栃木県の機械部品メーカー、従業員180名、年間売上32億円。2024年度からCSRD対象となり、第三者限定的保証初年度。
ステップ1:スコープ1の範囲確定
田中機械製作所は4つの製造拠点を運営している。本社工場(栃木)、岡山副工場、長野研究所、名古屋物流センター。ガスボイラーはすべて本社と副工場に集中。社有車は営業車両15台。経営陣は「スコープ1は小さい」と認識していたが、ボイラー年間消費量を確認すると都市ガス850万立方メートル、重油50キロリットル。この段階では経理のスプレッドシートにボイラー消費量が月次で記録されていたが、重油配送記録は紙ベース、社有車のガソリン伝票は営業経費に埋もれていた。
文書化ノート:制御環境を評価。「データソースレジスタ」に4つの収集ポイント(ガス会社の月次請求、重油納入書、給油レシート、走行距離記録)をマッピング。欠落データが過去3年で複数月あることを確認。
ステップ2:スコープ2の換算係数選定
購入電力量はすべての拠点で検針記録がある。合計2,400万kWh。CO2換算係数は国内電力網の係数を使う必要があるが、年度により異なる(2024年度0.468tCO2/kWh、2023年度0.506tCO2/kWh)。田中機械は岡山副工場で自社太陽光パネル(容量500kW)を導入していた。発電量は月次で記録されており、約80万kWh。この部分は係数0を適用すべきだが、スプレッドシートでは全電力量に一律係数を掛けていた。
文書化ノート:係数ポリシーを確認。太陽光発電部分は「スコープ2から除外し、スコープ1に含めない」と区分。再生可能エネルギー証書(REC)がないことを確認。バウンダリの妥当性を監査人が検証。
ステップ3:スコープ3の対象カテゴリと推定方法
GHGプロトコルのスコープ3は15のカテゴリに分かれている。田中機械の事業では、カテゴリ1(購入した製品・サービス)、カテゴリ4(上流輸送・流通)、カテゴリ9(製品輸送・配送)、カテゴリ11(使用済製品の処理)が関連。
購入原材料(スチール、アルミ、樹脂)のスコープ3排出は、仕入先から排出係数を直接取得できず、サプライチェーン・データベース(Ecoinvent、CDP Supply Chain)の業界平均係数で推定した。スチール仕入額が年間8億円で、業界平均排出原単位1.5tCO2/百万円を掛けると120万tCO2。一方、経営陣の言及では「海外仕入先は少ない」とのことだったが、実際には電子部品の一部が中国・ベトナムから調達されており、その排出データが二重計上される可能性があった。
文書化ノート:仕入構成表をモニタリング。地域別に係数を区分することを決定。中国・ベトナム仕入分(年間6,000万円)は別途係数1.8tCO2/百万円を適用。除外範囲はバウンダリポリシーに明記。
ステップ4:データギャップと推定の合理性検証
スコープ1で3ヶ月の重油納入記録が欠落。田中機械は「冬季は石油ファンヒーターで補った」と説明。ファンヒーター用石油量を従業員へのヒアリングで推定した。推定量は月平均3キロリットル。監査人は燃焼効率と室温管理記録から逆算し、推定値の範囲±15%の妥当性を確認した。
スコープ2で、5月の岡山副工場の検針値が異常に高かった(通常250万kWhに対し380万kWh)。経営陣は設備故障の可能性を指摘。検査員派遣で変圧器の劣化を発見。修繕前後のデータを分離し、修繕後の正常値で集計した。修繕前の異常値を排除する判断は、技術者の報告と照合して合理性を確認。
文書化ノート:データギャップリスト。スコープ1重油3ヶ月、推定方法、推定値の検証根拠。スコープ2異常値の除外理由と技術報告書の参照。いずれも限定的保証意見の形成に先立ち、マネジメント・レビューで承認。
結論
全スコープを統合すると、スコープ1:1.2万tCO2、スコープ2:112万tCO2、スコープ3:230万tCO2、合計243万tCO2。限定的保証の過程では、各スコープのデータ生成プロセス、換算係数の妥当性、推定方法の根拠を個別に確認し、統合的なバウンダリの一貫性を検証した。重油推定とスコープ2異常値除外は、それぞれ技術的根拠により防御可能であることが確認できた。
実務者が陥りやすい誤り
Tier 1:国際基準の実装事例から
IFACおよび国際監査・保証基準審議会(IAASB)は、限定的保証対象のサステナビリティ情報に関する2024年度の実装報告書で、スコープ3推定値の「合理性テストの不十分さ」を指摘している。多くの事務所は、マネジメント提示の推定係数をそのまま受け入れ、独立した業界データとの比較テストを省略していた。特にスコープ3カテゴリ1(購入製品)では、仕入先のCSR報告書またはサプライチェーン・データベースから得た係数との差異を5%超と認識していても、「業界平均だから妥当」と結論付けている事例が複数観察された。
Tier 2:バウンダリ設定の論理的誤り
GHGプロトコルは「組織境界」を2つの方法で定義する:持分的支配に基づく方法(親会社が支配する子会社をすべて含める)と経営的支配に基づく方法(実質的な運営権を持つ事業体のみを含める)。多くの中堅企業グループは、税務上の連結範囲と環境報告の組織境界を同一視し、結果として持分50%未満の合弁事業を排除している。CSRD監査では、サプライチェーン上の重要な合弁事業(製造提携先など)が排除されていないか確認が必須である。
Tier 3:記録保存慣行の未整備
スコープ1、2、3の各排出源について、データソース(検針票、請求書、管理台帳)からCO2換算値までの監査証跡が整っていない企業が大多数。限定的保証では、この証跡チェーンの完全性が求められる。特にスコープ3の推定では、推定仮定、使用した係数、計算過程、異常値の処理が全てスプレッドシートのセル内に埋もれていることが多い。
GHGプロトコルと他の排出報告規格との比較
vs IPCC方法論
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は温室効果ガスインベントリ作成方法を定めており、スコープ区分はGHGプロトコルと同じである。しかし、IPCCは国家レベルのインベントリ報告を対象とするため、企業に適用する際の詳細度はGHGプロトコルが勝る。GHGプロトコルはスコープ3を15カテゴリに細分化し、企業活動の多様性に対応している。
vs ISO 14064シリーズ
ISO 14064-1は温室効果ガスのいわゆる「定量化と報告」規格で、GHGプロトコルと同様にスコープ区分を導入している。ISO 14064は認証スキームとして機能し、第三者認証による排出量報告の信頼性向上を目指す。CSRD監査ではGHGプロトコルを基準としているが、データ検証の厳密性ではISO 14064の方が要求水準が高い傾向がある。
関連用語
- スコープ1排出: 事業者が直接所有・管理する排出源からの排出
- スコープ2排出: 購入したエネルギー(電力、蒸気、冷却)に含まれる排出
- スコープ3排出: サプライチェーンおよび製品使用段階の間接排出
- 限定的保証: 監基報3410号で定義される、合理的保証より低水準の保証
- CSRD: 企業サステナビリティ報告指令
- バウンダリ(組織境界): 報告対象とする事業体の範囲定義
Ciferiツールの活用
GHGプロトコルのスコープ分類および限定的保証手続について、監基報3410号に対応した限定的保証チェックリストがある。スコープ1、2、3の各排出源マッピング、換算係数ポリシーの検証、データギャップの評価、および異常値検出のテンプレートを備える。限定的保証初年度の事務所向けに設計されている。