主要なポイント

  • バリューチェーン上限は、報告対象外とする排出源の定義を可能にする定量的メカニズムである
  • 企業は、特定のスコープ3排出源(上流・下流いずれか)について、全体の5%未満の排出量であれば開示を省略できる
  • ただし省略の判断根拠と、省略した排出源の特定は依然として必要である
  • 限定的保証業務の監査人は、上限の適用が恣意的ではなく、方針に基づいているかを確認しなければならない

仕組み

CSRD のバリューチェーン上限は、スコープ3排出量の報告負荷を軽減するための定量的手段である。ESRS E1実装ガイダンスでは、企業が定量的閾値を設定し、その閾値を下回るバリューチェーン排出源については報告を省略できると定めている。ただしこれは自動的な免除ではない。企業は以下のプロセスを経る必要がある。
第1段階として、企業は全スコープ3排出源をグロスベースで特定する。国際的なカテゴリー分類(Scope 3 Category 1〜15)を参照し、自社のバリューチェーンに該当するカテゴリーを列挙する。この時点では定量化が必要となるが、概算値でよい。
第2段階として、企業は上限メカニズムを定義する。EFRAG の実装提案では、全体排出量の5%を下回るカテゴリーについては、開示を省略できる。ただしこの5%は相対値である。絶対排出量ではなく、当該年度の全スコープ3排出量に対する比率で算出する。
第3段階として、企業は上限を適用した排出源の特定を文書化する。単に「5%未満であった」と述べるのではなく、どのカテゴリーを除外し、その排出量がいくら(またはいくらと推定されるか)であったかを明記する。この記録が限定的保証の対象となる。
限定的保証業務では、監査人はこの判断が恣意的ではなく、企業の継続的なサステナビリティ方針に沿っているかを検証する必要がある。昨年は5%の上限で過半数のカテゴリーを除外し、今年は3%に変更した、という例は、方針の一貫性の欠如を示唆する。監査人は方針の安定性、または変更の妥当な理由を確認する。

実務例:田中物流株式会社

クライアント概要: 日本の中堅物流企業、売上200億円、スコープ3排出量(推定)年間45万トンCO2e
ステップ1:全スコープ3カテゴリーの特定と定量化
田中物流は、Scope 3 Category 1(購入した商品・サービス)、Category 4(上流輸送・配送)、Category 5(事業から発生する廃棄物)、Category 9(下流輸送・配送)の4カテゴリーが主要であると判定した。
文書化メモ:全16カテゴリーを初期スクリーニングシートで確認。定量不可能なカテゴリー(例:Category 3「燃料・エネルギー関連活動」は社内原料調達のため該当なし)は除外理由を明記
ステップ2:上限メカニズムの定義
田中物流は、サステナビリティ方針で「スコープ3排出量の5%未満に該当するカテゴリーについては、報告対象から除外する」と定めた。
全体45万トンに対して5%は22,500トンである。先の集計では、「その他未特定」の1万トンのみが5%を下回る。他の4カテゴリーは全て5%を超える。
文書化メモ:方針決定プロセス記録。経営陣承認。前年度方針との比較(変更なし)
ステップ3:除外カテゴリーの文書化
除外対象は「その他未特定」(1万トンCO2e、全体2.2%)のみ。報告書では以下を記載する:
「当社は、スコープ3排出量が全体の5%未満である排出源について、報告を省略する方針を採用している。当年度においては、Category 6~8, 10~15 については売上構造上該当がないか、排出量が無視できるレベルと判定し、その他の未特定源を除外した(約1万トンCO2e、全体2.2%)。」
文書化メモ:除外判定シート。各カテゴリーの該当性判定根拠。排出量の推定方法
ステップ4:監査人による限定的保証確認
監査人は以下を検証した:
監査メモ:「バリューチェーン上限の適用は方針に一貫し、排除対象は定量的に正当化される。限定的保証意見の対象内」
結論: 限定的保証業務において、田中物流のバリューチェーン上限の適用は恣意性を欠き、企業の継続的方針に沿っている。報告書の開示は十分である。

  • Category 1:12万トンCO2e(全体の26.7%)
  • Category 4:18万トンCO2e(全体の40%)
  • Category 5:8万トンCO2e(全体の17.8%)
  • Category 9:6万トンCO2e(全体の13.3%)
  • その他未特定:1万トンCO2e(全体の2.2%)
  • 上限メカニズム(5%)は企業の正式なサステナビリティ方針に記載されているか → 確認
  • 前年度との方針変更がないか、あれば合理的理由があるか → 変更なし、確認
  • 除外されたカテゴリーの排出量が本当に5%未満か → 1万トン÷45万トン=2.2%、確認
  • 報告書での説明が明確か → 確認。報告書には除外カテゴリーと排出量が明記されている

監査人と報告主体が誤解しやすい点

  • 誤解1: バリューチェーン上限は自動的な免除メカニズムである → 実際には、企業が上限を定義し、その根拠を文書化し、監査人が検証する必要がある。自動ではなく、判断に基づくメカニズムである
  • 誤解2: 5%は絶対数(トン)で計算する → 実際には相対値(全体排出量に対する割合)で計算する。売上規模が大きく排出量が多い企業の5%は、小規模企業の5%よりも絶対値では大きい
  • 誤解3: 上限を一度設定したら、毎年変更できない → 実際には、企業の事業構造や報告方針の変更に基づいて、上限は再評価される。ただし変更の根拠を明記する必要がある
  • 誤解4: バリューチェーン上限は毎年度の再評価が不要 → ESRS E1の実装ガイダンスは、事業構造の変化(M&A、新規事業領域への参入)がある場合、上限設定の前提が変わるため再評価を求めている。ISA 540.13(b)に基づき、監査人は経営者の見積りの前提が期末時点で依然として妥当かを確認する

関連用語

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  • スコープ3排出量: スコープ3は企業の直接的事業外で発生する全排出源。バリューチェーン上限は主にスコープ3の一部カテゴリーの報告を除外するメカニズムである
  • 限定的保証: サステナビリティ報告に対する監査人の検証レベル。バリューチェーン上限の適用も限定的保証の対象となる
  • CSRD: 企業サステナビリティ報告指令。バリューチェーン上限を含むサステナビリティ報告フレームワークの親規則
  • ESRS E1: 気候変動に関する欧州サステナビリティ報告基準。バリューチェーン上限の具体的な適用ガイダンスを提供
  • ダブルマテリアリティ: CSRD全体の根本的概念。企業のサステナビリティ影響度と、ステークホルダーへの財務的影響度の両方を報告対象とする。バリューチェーン上限はこの双方向評価の結果として適用される場合がある

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