Definition
スコープ3の排出源を15カテゴリーすべて定量化してほしい。クライアントにそう伝えた瞬間、経理部長の顔が曇る。「うちの規模で全カテゴリーは現実的じゃないですよ」。この場面はCSRD対応の初年度に何度も繰り返される。EFRAGもそれを認識しており、一定の閾値以下の排出源については報告を省略できる仕組みを用意した。バリューチェーン上限と呼ばれるメカニズムである。
仕組み
バリューチェーン上限の適用は3段階のプロセスを経る。
第1段階で、企業は全スコープ3排出源をグロスベースで特定する。Scope 3 Category 1〜15の国際分類を参照し、自社のバリューチェーンに該当するカテゴリーを列挙。この時点では概算値で構わないが、定量化自体は必要になる。経験上、クライアントはこの段階で「該当なし」と判断するカテゴリーが多すぎる傾向がある。
第2段階で、上限メカニズムを定義する。EFRAGの実装提案では全体排出量の5%を下回るカテゴリーについて開示省略を認めている。5%は相対値であり、絶対排出量ではない。当該年度の全スコープ3排出量に対する比率で算出する点を見落とすと、計算基礎のエラーが調書に残る。
第3段階で、上限を適用した排出源を文書化する。どのカテゴリーを除外し、その排出量がいくら(または推定値がいくら)であったかを明記。この記録が限定的保証の対象となる。
限定的保証業務では、監査人はこの判断が恣意的ではなく、企業の継続的なサステナビリティ方針に沿っているかを検証しなければならない。昨年は5%の上限で過半数のカテゴリーを除外し、今年は3%に変更した――こうした例は方針の一貫性の欠如を示唆する。変更自体は禁じられていないが、合理的理由の有無が問われる。
実例:田中物流株式会社
日本の中堅物流企業。売上200億円、スコープ3排出量(推定)年間45万トンCO2e。CSRD対応初年度のケース。
全スコープ3カテゴリーの特定と定量化
田中物流はScope 3のうち4カテゴリーが主要排出源と判定した。
- Category 1(購入した商品・サービス):12万トンCO2e(全体の26.7%) - Category 4(上流輸送・配送):18万トンCO2e(全体の40%) - Category 5(事業から発生する廃棄物):8万トンCO2e(全体の17.8%) - Category 9(下流輸送・配送):6万トンCO2e(全体の13.3%) - その他未特定:1万トンCO2e(全体の2.2%)
調書メモ:全16カテゴリーを初期スクリーニングシートで確認。定量不可能なカテゴリー(例:Cat. 3「燃料・エネルギー関連活動」は社内原料調達のため該当なし)は除外理由を明記
上限メカニズムの定義
田中物流はサステナビリティ方針で「スコープ3排出量の5%未満に該当するカテゴリーについて報告対象から除外する」と定めた。
全体45万トンに対して5%は22,500トン。先の集計では「その他未特定」の1万トンのみが5%を下回り、他の4カテゴリーは全て超過。
調書メモ:方針決定プロセス記録。経営陣承認。前年度方針との比較で変更なし
除外カテゴリーの文書化
除外対象は「その他未特定」(1万トンCO2e、全体2.2%)のみ。報告書の記載例は以下のとおり。
「当社は、スコープ3排出量が全体の5%未満である排出源について、報告を省略する方針を採用している。当年度においては、Cat. 6〜8, 10〜15については売上構造上該当がないか、排出量が無視できるレベルと判定し、その他の未特定源を除外した(約1万トンCO2e、全体2.2%)。」
調書メモ:除外判定シート。各カテゴリーの該当性判定根拠。排出量の推定方法
監査人による限定的保証確認
監査人は4項目を検証した。
1. 上限メカニズム(5%)が企業の正式なサステナビリティ方針に記載されているか → 確認 2. 前年度との方針変更がないか、あれば合理的理由が存在するか → 変更なし、確認 3. 除外カテゴリーの排出量が本当に5%未満か → 1万トン÷45万トン=2.2%、確認 4. 報告書の説明が明確か → 確認(除外カテゴリーと排出量が明記されている)
監査メモ:「VC上限の適用は方針に一貫し、排除対象は定量的に正当化される。限定的保証意見の対象内」
正直、この事例は除外対象が1カテゴリーだけだから比較的単純に見える。排出源が分散している製造業や商社では、5%付近のカテゴリーが3つも4つも並び、どこで線を引くかの判断が格段に重くなる。
検査で指摘されやすい3つの誤解
上限が自動的な免除メカニズムだという誤解がまず挙がる。実際には企業が上限を定義し、根拠を文書化し、監査人が検証する判断に基づくプロセスであり、申請なしに適用されるものではない。
5%を絶対数(トン)で計算する誤りも根強い。相対値(全体排出量に対する割合)で算出する仕組みのため、売上規模が大きく排出量が多い企業の5%は、小規模企業の5%よりも絶対値では大きくなる。繁忙期に慌てて計算すると、この点を取り違える。
上限を一度設定したら毎年変更できないという思い込みも見かける。事業構造や報告方針の変更に基づいて上限は再評価できるが、変更根拠を明記する必要がある。品管レビューでは方針変更の有無と理由の記載が確認対象。
関連用語
- スコープ3排出量:企業の直接的事業外で発生する全排出源。VC上限は主にスコープ3の一部カテゴリーの報告を除外するメカニズムとして機能する - 限定的保証:サステナビリティ報告に対する監査人の検証レベル。VC上限の適用も検証対象に含まれる - CSRD:企業サステナビリティ報告指令。VC上限を含むサステナビリティ報告フレームワークの親規則 - ESRS E1:気候変動に関する欧州サステナビリティ報告基準。VC上限の具体的な適用ガイダンスを提供 - ダブルマテリアリティ:CSRD全体の根本的概念。企業のサステナビリティ影響度とステークホルダーへの財務的影響度の両方を報告対象とする。VC上限はこの双方向評価の結果として適用される場合がある
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