仕組み

ISA 210では、監査人は監査契約の同意を書面で証拠化することを求めている。その内容には、監査の目的と範囲、監査人の責任と経営者の責任の区分、利用者グループの特定、監査報告書の形式と内容、報酬額の合意などが含まれる。
監査契約書は以下の3つの役割を果たす。第一に、監査人と被監査会社の期待のズレを防ぐ。被監査会社が「すべての不正を発見してほしい」と期待していても、ISA 240.A2が定める通り、監査人は内部統制の構造的な制限から全ての不正を発見する責任を負わない。契約書でこれを明確にしなければ、期中に紛争が生じる。第二に、監査人の法的地位を保護する。第三に、特殊な状況(被監査会社が複数の監査人を指定する場合、その他の利用者向けレポートが必要な場合)を文書化する。
契約書の要素はISA 210.6に記載されている。被監査会社名、監査の対象となる財務諸表の期間、監査報告書の宛先人(たいていは取締役会または監査役会)、監査人の責任の限定(「重要性の閾値以上の虚偽表示を発見するために合理的に設計された手続」)、経営者の責任の確認、内部統制の信頼性に関する記述が含まれる。

実務例:ナガハマ機械工業

クライアント: ナガハマ機械工業株式会社、従業員数85名、売上高18億円、IFRS報告企業
ステップ1:初回監査業務の識別
ナガハマ機械工業はフォークリフト部品の製造業者。これまで小規模な監査法人が検査役監査を実施していたが、子会社化されることになり、新たに国際監査基準に準拠した監査が必要になった。この時点で、監査人は監査契約書の案を経営陣(CEO、CFO)に提出する。
文書化メモ:契約書案のファイルを作成し、送付日時と受領者を記録する。
ステップ2:契約書の内容確認
契約書には以下が記載される。(1) 監査対象財務諸表:2024年度および2023年度の連結財務諸表、IFRS準拠。(2) 監査人の責任:ISA 200.A6に基づき、重要性の基準値(例:税引前利益の5%、金額で約4,500万円)を超える虚偽表示を合理的な確度で発見するために設計した監査。(3) 経営者の責任:財務諸表の作成と公正な表示の責任、内部統制の構築と維持。(4) 利用者グループ:子会社のオーナー(親会社のファイナンス部門)。(5) 報酬:監査報酬は初年度1,350万円、その後毎年1,350万円。(6) 監査期間:計画から報告書署名まで4ヶ月。
文書化メモ:契約書本文に署名欄の位置、要件となる署名者(CEO、CFOの両者)を記録する。
ステップ3:署名と返送
CEOとCFOが両者署名した契約書が監査人に返送される。このとき、日付(通常は会計年度開始前)を確認し、監査ファイルの最初のページに契約書を綴じ込む。
文書化メモ:契約書受領日、返送者、署名日を監査参考資料に記録する。
結論: ナガハマ機械工業の契約書は、被監査会社の要望(「すべての不正を発見してほしい」との経営陣の当初期待)と監査人の責任の境界線を明確に定めた。これにより、監査期間中に期待のズレによる紛争が防がれた。

レビューアーと実務者が誤る点

  • 第1段階:金融庁の指摘 金融庁の2024年度モニタリングレポートでは、初回監査業務において監査契約書が提出されていない、または不完全なものが多くみられると指摘されている。特に経営者の責任の記載漏れが目立つ。
  • 第2段階:ISA 210.A2の誤解 多くの監査人は、監査契約書に「監査人は内部統制の有効性を判定しない」と記載すれば足りると考えている。しかしISA 210.A2は、監査人が「経営者の責任」と「監査人の責任」を明確に区分し、被監査会社がその区分を理解していることを確認することを求めている。一方向的な免責文では不十分である。
  • 第3段階:契約書の更新不足 被監査会社の事業環境が変わった場合(関連当事者が増加した、新しい事業部門が追加された、法的地位が変わった)、多くの監査人は初回の契約書をそのまま使用し続ける。ISA 210.A3は、重大な変更がある場合は契約書を更新し、被監査会社の再度の同意を得ることを示唆している。
  • 第4段階:グループ監査における契約範囲の不明確 ISA 600.14は、グループ監査チームが構成単位の監査人の関与範囲を明確にするよう求めている。親会社との契約書がグループ全体を対象とする場合でも、各構成単位の監査人に対する指示の範囲と責任分担が契約書に反映されていないケースがある。構成単位の監査人が自社の契約条件と矛盾する指示を受けた場合、法的な責任の所在が不明確になる。

関連用語

  • 監査報告書: 監査人が監査の結論を表明する文書。契約書で形式が定められる。
  • 重要性: 監査契約書で定める金額的閾値。重要性の基準値はISA 320で詳細が定められる。
  • 監査契約書: ISA 210に基づく監査業務の条件を書面化した文書。
  • 内部統制: 契約書で言及される環境要因。監査人の責任ではなく、経営者が構築・維持する対象である。
  • 監査リスク: 監査人が不適切な意見を表明するリスク。契約書に記載する監査の限界と関連する。
  • 監査計画: 監査対象となる取引、勘定科目、財務諸表の期間。契約書の範囲に基づき策定される。

関連するツール

ISA 210監査契約書チェックリストを使用すれば、契約書の要件を漏れなく確認できる。チェックリストには、被監査会社ごとのカスタマイズテンプレート、署名プロセスの追跡表、更新トリガーの一覧が含まれる。

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