重要なポイント

  • SBTは検証可能な科学的基準に基づくため、企業の主張の信頼性を監査で確認できる
  • 多くの企業がSBTiに登録し、目標達成状況を公開開示しているため、監査証拠が比較的入手しやすい
  • SBTの設定根拠が不十分な場合、ESRS E1セクション(気候変動)での虚偽表示につながりやすい
  • 排出係数の出典と更新頻度を文書化しなければ、年度間の進捗比較の信頼性が損なわれる

仕組み

サイエンス・ベースド・ターゲットは、企業の温室効果ガス排出削減目標が気候科学と整合しているかを確認する枠組みである。SBTi(Science Based Targets initiative)が発行する方法論に基づき、企業は自社の排出量ベースラインから何年までにどれだけ削減するかを定める。例えば、2030年までに1990年比で45%削減、2050年までにネットゼロ達成といった形式である。
監査の観点から見ると、SBTの監査は3つのレイヤーで構成される。第1に、企業が設定した目標値が確実にSBTiの方法論に従い、科学的根拠を持つかを確認する。ISAの適用は直接的ではないが、ISAE 3410(温室効果ガス排出量の保証業務)またはESRS監査の枠組み内で、目標値の合理性を評価する。第2に、目標設定時に使用した排出量ベースラインが正確かつ完全であることを確認する。第3に、企業の進捗報告(実績値の開示)が目標と整合し、虚偽表示がないことを確認する。
ESRS E1.1では、企業がSBTを策定・公開することが期待される。ただし強制的ではなく、目標がない場合は「未策定」と明記することで開示要件を満たす。目標を公開した場合は、その根拠となった方法論(SBTiガイダンスの版番号、温度シナリオ、ベースラインの定義)を文書化する必要がある。これらの文書は監査証拠として重要である。

実例:Alpina Materials B.V.の場合

クライアント概要
オーストリア系の建材製造企業、Alpina Materials B.V.(オランダ登記)。FY2024年の売上は€87M。IFRS採用企業で、初回のCSRD対象外だが、自発的にESRS報告を実施。
ステップ1:SBTの設定根拠の確認
経営層は2023年11月にSBTを策定した。目標は「2035年までにScope 1およびScope 2排出量を2020年比で60%削減」と設定している。
文書化メモ:SBTi認定文書(2023年11月付)、SBTiネットポータルへの登録確認書、推定気候シナリオ(SBTi 2023年版ガイダンスに基づくシナリオB)を監査ファイルに保存。
ステップ2:ベースライン排出量の検証
SBT設定時のベースラインは、Scope 1:3,400トンCO2e、Scope 2:5,200トンCO2e(2020年実績)と定められた。監査人は、2020年のエネルギー使用記録(電気料金請求書、ガス購入記録)および排出係数の計算表を入手。排出係数はIEA統計に準拠していることを確認。
文書化メモ:2020年度エネルギー使用量の根拠書類フォルダ、排出係数計算表(IEA 2020年度係数、欧州平均値を採用)、外部第三者検証報告書(PwCが2021年3月に実施)。
ステップ3:FY2024の進捗報告の検証
企業の報告では、2024年のScope 1は3,100トンCO2e(2020年比で8.8%削減)、Scope 2は4,600トンCO2e(同11.5%削減)と開示されている。監査人は、各排出源(ボイラー、社有車、購入電力)の2024年実績値を確認した。
ボイラー燃料費は€45,000(2024年)で、2020年の€51,000と照合。社有車のマイレッジ記録は年間走行距離98,000kmで、2020年の107,000kmから減少。購入電力量は2,400MWh(2024年)で、オランダの2024年平均排出係数0.192トンCO2e/MWh(オランダ系統オペレータから提供)を適用。
文書化メモ:2024年度エネルギー請求書一式、走行距離記録、排出係数の再計算表、進捗報告書の段落X(開示は正確性の基準を満たす)。
ステップ4:開示の完全性と正確性の評価
ESRS E1.1では、企業はSBTの目標値、ベースライン、進捗状況、方法論的選択肢を記載することが期待される。Alpina Materials B.V.の持続可能性報告書は、SBTiポータルへのリンク、2020年ベースラインの定義、2035年削減目標、2024年実績値を明記していた。排出係数の出典が不明確な箇所が1つ(Scope 2、2021年〜2023年分の係数源が未記載)見つかった。
文書化メモ:ESRS E1.1合致度評価表、不明確箇所の修正指示メモ(マネジメント・レターに記載)、修正後の確認書。
結論
Alpina Materials B.V.のSBTは、SBTiの認定方法論に沿って設定され、ベースラインと進捗報告の数値は監査証拠によって支持される。ただし、排出係数の出典の透明性に関して軽微な指摘を付した。SBTの妥当性そのものは損なわれていない。

監査人と実務者がよくやる誤り

第1段階:基準に基づく誤り
金融庁およびIAASBの監査・保証基準では、「SBTの妥当性をどこまで検証するか」について明確な規定がない。多くの監査人はSBTiガイダンスの内容を直接検証しようとするが、これはISAEの範囲外である。正しくは、企業の開示(目標値、ベースライン、方法論)が企業自身の宣言と一貫しているか、および排出量計算の基礎となるエネルギー使用量が正確かを確認するにとどめるべき。ESRS E1.1では目標の「根拠の説明」が求められるが、目標値そのものの科学的妥当性まで監査人が検証する必要はない。
第2段階:実務実装における一般的な課題
企業がSBTを設定して数年経つと、排出係数の更新により過去年度のベースラインを遡及改正することがある。例えば、2024年にオランダの送電系統の排出係数がEU統計局の新公表により0.192トンCO2e/MWh から 0.185トンCO2e/MWhに下方改正されたとする。企業がこれを機に2020年ベースラインを遡及改正した場合、その改正の適切性は、企業の会計方針変更に関する開示規準(IAS 8)と整合するか否かを確認する必要がある。多くの企業はこの遡及改正を単に「排出係数の更新」として扱い、開示を簡潔にしすぎる傾向がある。
第3段階:ドキュメント化の実務的課題
企業がSBTの根拠書類(SBTiメール、登録確認書、方法論選択表)を十分に保持していないケースが多い。特にSBTの設定が数年前の場合、設定時の判断根拠(なぜそのシナリオを選んだのか、なぜそのベースライン定義にしたのか)が不明確になりやすい。ESRS E1.1の開示要件は「方法論的選択肢の説明」を求めるため、この根拠が曖昧だと開示が不完全と判定される。

関連用語

  • スコープ1排出量 (Scope 1 Emissions): 直接保有または管理する施設から生じる温室効果ガス排出。企業のボイラー、社有車などが該当。
  • スコープ2排出量 (Scope 2 Emissions): 購入電力・蒸気由来の間接排出。ESRS E1ではマーケットベース法とロケーションベース法の2つ。
  • ESRS E1(環境側面の気候変動): EU規制の持続可能性報告基準。SBTの開示と進捗報告を求める第一の根拠。
  • SBTi (Science Based Targets initiative): 国連グローバル・コンパクト、世界資源研究所ほかが共同運営。企業のSBT認定・登録を管理。
  • GHGプロトコル: 温室効果ガス排出量の計算と報告の国際標準。SBTはGHGプロトコル準拠を前提とする。
  • パリ協定に基づく温度シナリオ: 地球平均気温の上昇を1.5度または2度に抑える科学的シナリオ。SBT設定の根拠。

関連する計算ツール・リソース

ciferiの排出量ベースライン検証チェックリスト(ESRS E1対応)を使用することで、監査人は企業のベースライン定義の完全性を体系的に確認できる。ツールは、排出源の分類、係数の出典確認、過去データの遡及修正の文書化の3点をカバー。

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