Definition

CPAAOBの検査結果事例集を読むと、サンプリングに関する指摘が繰り返し出てくる。「サンプルサイズの決定根拠が不明確」「推定虚偽表示額の母集団への拡大計算が欠落」。正直、経験上これは珍しくない。調書に「30件テスト済」とだけ書いて、なぜ30件なのか説明がない。

仕組み

監基報530号は、母集団から一部の項目を選択し、その項目に監査手続を適用する方法を定めている。サンプルの結果から母集団全体についての結論を引き出す。

サンプリングリスク(サンプルが母集団を正しく代表していないリスク)と非サンプリングリスク(実行上の誤りや判断の誤り)は別物である。監基報530号第A1項は、サンプリング方法そのものではなく、サンプルから引き出された結論が焦点だと述べている。ここを混同する調書は少なくない。

実務では、サンプルサイズの計算に4つの要素が関係する。第一に、許容虚偽表示額(TM。監査人が容認できる最大の虚偽表示額)。第二に、期待虚偽表示額(EM。母集団に存在すると予想する虚偽表示額)。第三に、信頼度(通常95%から99%の範囲)。第四に、母集団の特性(取引の均質性、金額のばらつき)。これらからサンプルサイズが決まる。

非統計的サンプリングを選択した場合でも、監基報530号第8項はサンプルサイズ決定の根拠文書を求めている。「経験的に30項目」だけでは足りない。TMとの比較、EMとの関係、母集団の性質、内部統制の有効性を記載すること。現場では「PIOOMA」(Pulled It Out Of My... Audit file)と冗談で言われるような根拠不明のサンプルサイズが、品管レビューで差し戻される原因になる。

実践例:フィッター精密工業株式会社

クライアントは東京都に本社を置く精密機器製造業。2024年度売上高8,500万円、IFRS報告。

ステップ1:TMとEMの設定

監査人は財務諸表全体のTMを850万円に設定した。フィッター精密の売上高に対する比率は約10%。過去3年間の検出虚偽表示額と当期における業務処理上の誤りの傾向から判断したもの。

文書化ノート:「TM設定根拠」ワークペーパーに、売上高比率、過去の誤り率、リスク評価との関連性を記載。

EMは、前年度の未検出虚偽表示額の最大値と当期における体系的な処理誤りの傾向から85万円に設定した。

文書化ノート:「EM」に、前年度の傾向、母集団の性質、期末処理の複雑さを記載。

ステップ2:サンプルサイズの計算

統計的サンプリング(属性サンプリング)を適用する場合、信頼度95%、期待誤り率2%で計算すると約150項目となる。しかしフィッター精密の売上高取引は総計2,100件。母集団の5%を上回るサンプルサイズは実務的に削減可能である。

監査人はEMとTMの比率(85万円/850万円 = 10%)から、非統計的判断で120項目に調整した。EMがTMの10%に留まるため、統計的計算より若干少ないサンプルサイズでも母集団についての十分な確信が得られると判断したもの。

文書化ノート:「サンプルサイズ決定根拠」に、統計計算との差分、調整理由、リスク評価とのリンク、職業的判断の内容を記載。

ステップ3:サンプルの選択と抽出方法の決定

系統抽出法により2,100件の売上高取引から120項目を選択した。抽出間隔は2,100÷120 = 17.5。初期サンプルを12として、12、29.5(=29)、46.5(=47)、...という方式で抽出。

文書化ノート:「サンプル抽出方法」に、採用した方法(系統抽出)、抽出間隔、初期サンプルの選択方法を記載。非統計的サンプリングでも選択ロジックが追跡可能である必要がある。

ステップ4:監査手続の実施と結果の評価

120項目のそれぞれについて、請求書、納品証、売上計上日、売上台帳の一致を確認した。2件の虚偽表示を発見。1件は計上時期の誤り(15万円)、1件は重複計上(22万円)。

サンプルにおける虚偽表示額の合計は37万円。母集団全体に推定する場合、監基報530号第A2項の逆算方式を適用する。推定虚偽表示額は(虚偽表示額合計÷サンプルサイズ)×母集団サイズ = (37万円÷120)×2,100 = 649万円。

文書化ノート:「サンプリング結果の評価」に、発見された虚偽表示の詳細(いつ、どの取引で、金額)、推定虚偽表示額の計算式、TMとの比較を記載。

ステップ5:TMとの比較と監査結論

推定虚偽表示額(649万円)はTM(850万円)を下回っている。ただし非サンプリングリスク(抽出漏れ、手続の実施ミス)を考慮すると、推定虚偽表示額に安全マージンが要る。

監査人は追加的に月次締切処理の4ヶ月について全項目確認を行い、体系的誤りがないことを確認した。この追加手続により推定虚偽表示額は合理的な水準にあると判断。

文書化ノート:「サンプリング結論」に、推定虚偽表示額とTMの比較、追加手続の実施内容、監査意見への影響を記載。母集団全体に対するリスクが低減されたことを述べる。

フィッター精密の売上高について、監査サンプルにより母集団が適正である可能性が高いと判断。調整提案は行わず、被監査会社の計上額を承認した。

レビュイアーと実務者が見落とすこと

ISA 530.A25は、母集団を層別化して各層でサンプルサイズを個別に決定する方法を説明している。金額の大きい取引と小さい取引が混在する場合、層別しないと小額誤りが過小評価される。調書には全体サンプルサイズのみ記載し、層別による分析を欠くものが多い。

CPAAOBの検査結果事例集では、EMを「過去の経験から」と漠然と記載している調書が繰り返し指摘されている。ISA 530.6(b)はEMの決定に「監査人が識別したリスク」を考慮することを求めている。期末処理の複雑さ、内部統制の有効性、被監査会社の変更事項、前年度のサンプリング結果を明示すること。経験上、「去年と同じ」で通してしまう調書が審査で引っかかりやすい。

サンプルから虚偽表示が発見されたとき、推定額を母集団全体に拡大する計算が欠落している調書もある。ISA 530.A2は逆算方式を説明しているが、非統計的サンプリング時にどの方式を適用するか現場では曖昧になりやすい。計算式と根拠を調書に残すこと。

関連用語

- サンプリングリスク -- サンプルが母集団を正しく代表していないため、監査結論を誤るリスク。非サンプリングリスクとは別の概念。 - 許容虚偽表示額 -- ISA 320と併せて、監査人が容認できる虚偽表示の最大額。サンプルサイズ決定の出発点となる。 - 期待虚偽表示額 -- ISA 530で定義される、母集団に存在すると監査人が予想する虚偽表示額。前年度実績と当期リスク評価から推定する。 - 層別サンプリング -- 母集団を金額や属性によって層に分け、各層で個別にサンプルサイズを決定する。ISA 530.A25で説明。 - 統計的手続対非統計的手法 -- ISA 530は両方を認めている。統計的手法は信頼度を数値化できるが実務コスト増。非統計的手法は職業的判断による。 - 属性サンプリング -- 特定の属性(例:請求書に承認署名があるか)の有無をテストする方法。個別項目の金額ではなく統制の有効性評価に使う。

関連ツール

監基報530号の層別サンプリング計算を自動化するサンプルサイズ計算機があります。TMとEMを入力すると統計的な標本サイズが計算され、職業的判断による調整の出発点が得られます。

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