ISAE 3410の適用範囲と保証レベル
ISAE 3410.11は、この基準が温室効果ガス計算書に対する保証業務にのみ適用されることを明記している。財務諸表監査の一部として行われる排出量の検証ではない。独立した保証業務として実施される。
保証レベルは2つに分かれる。合理的保証(reasonable assurance)では「排出量計算書に重要な虚偽記載がない」旨の積極的意見を表明する。限定的保証(limited assurance)では「重要な虚偽記載を示す事項に気づかなかった」旨の消極的結論を述べる。現在の実務では限定的保証が主流。合理的保証を提供する事務所はまだ少ない。
ISAE 3410.16は、保証業務の対象となる「温室効果ガス計算書」の定義を示している。単なる排出量の数値ではなく、算定基準、算定境界、算定方法、基礎データの出典を含む一連の記録を指す。この定義が重要なのは、数値の検証だけでなく、算定プロセス全体の妥当性を評価する必要があるためだ。
日本における規制動向
日本では2023年4月から「有価証券報告書等におけるサステナビリティ情報の記載欄の新設」により、プライム市場上場会社にはCO2排出量の開示が求められている。金融庁は2024年3月期から段階的にこの要件を拡大している。
任意の外部保証を取得する企業も増加中。JICPAの調査では、2023年度にISAE 3410に基づく保証業務を実施した監査法人は前年度の1.7倍となった。ただし絶対数はまだ少なく、専門知識を持つ保証業務者の不足が課題となっている。
Scope別検証手続の設計
Scope 1(直接排出)の検証
Scope 1は企業が直接管理する排出源からの排出量。ISAE 3410.A89は、物理的な管理下にある設備からの排出量算定が基本であることを示している。
検証手続で最も重要なのは「燃料使用量×排出係数」計算の正確性確認。燃料購入伝票、計量記録、在庫管理簿を照合する。多くの企業で見つかる誤りは、購入ベースと使用ベースの混同。3月に購入した燃料を4月に使用した場合、どちらの期間に計上するかは算定基準による。
排出係数の選択も重要な判断領域。環境省の係数、IPCC係数、電力会社の実排出係数など複数の選択肢がある。ISAE 3410.A72は、選択した係数の根拠と継続適用を求めている。係数を前年度から変更した場合は、その理由と影響額を文書化する。
Scope 2(間接排出・電力等)の検証
Scope 2は購入した電力、熱、蒸気の使用による間接排出。検証の複雑さは係数の選択にある。
ロケーション基準法では電力会社の平均排出係数を使用する。マーケット基準法では実際に購入した電力の排出係数を使用する。再生可能エネルギー証書(REC)を購入している場合、マーケット基準法での排出量は大幅に削減される。
ISAE 3410.A94は、RECの有効性確認を保証業務者の責任としている。証書の購入契約書、発行機関の認定状況、二重計上防止の仕組みを確認する。日本では「グリーンエネルギー認証センター」が発行するグリーン電力証書が主流。
電力使用量の検証では、電力料金請求書だけでなく、設備別の使用量内訳も確認する。特に工場では、生産量の変動と電力使用量の相関関係を分析する。異常な変動があれば追加調査が必要。
Scope 3(その他の間接排出)の検証
Scope 3は最も複雑で、15のカテゴリに分類される。ISAE 3410.A102は、重要性の観点から検証対象を絞り込むことを認めている。
カテゴリ1(購入商品・サービス)が最も重要性が高いケースが多い。購入金額×排出原単位で算定するのが一般的。排出原単位は環境省のデータベース「サプライチェーンを通じた組織の温室効果ガス排出等の算定のための排出原単位データベース」から取得する。
カテゴリ11(販売製品の使用)では、製品の想定使用年数と使用条件の妥当性が焦点となる。自動車メーカーの場合、平均走行距離と燃費の想定が排出量に大きく影響する。過去の実績データに基づく合理的な想定であることを確認する。
出張・通勤(カテゴリ6、7)は比較的検証しやすい。交通費精算システムから移動手段別の距離を抽出し、輸送手段別の排出係数を適用する。テレワークの普及により通勤による排出量は減少傾向。
実務例:田中製作所株式会社の保証業務
企業概要
排出量(2023年度)
検証手続
結論
限定的保証意見を表明。算定方法は環境省ガイドラインに準拠しており、重要な誤りを示す事項に気づかなかった。排出量合計は52,640 tCO2eで、前年度比8.2%減少。
- 社名:田中製作所株式会社(自動車部品製造)
- 売上高:8,500百万円
- 従業員数:420名
- 事業所:本社工場(静岡県)、営業所(東京、大阪)
- Scope 1:2,850 tCO2e(都市ガス1,200 tCO2e、軽油1,650 tCO2e)
- Scope 2:4,200 tCO2e(購入電力、ロケーション基準法)
- Scope 3:45,600 tCO2e(カテゴリ1が全体の78%)
- 算定境界の確認
- 連結子会社2社を含む組織境界を確認
- 支配基準に基づく算定境界設定の妥当性を評価
- 文書化: 組織図と出資関係、算定境界選択の根拠
- Scope 1検証
- 都市ガス:月次使用量を購入契約書、検針票と照合
- 軽油:給油伝票155枚を抽出し、走行距離記録と整合性確認
- 排出係数:環境省「算定・報告・公表制度」の最新係数使用を確認
- 文書化: サンプル選定理由、照合結果、係数選択の根拠
- Scope 2検証
- 電力使用量:電力料金請求書12か月分と設備別使用量記録を照合
- 排出係数:中部電力の2023年度調整後排出係数0.351 kg-CO2/kWh使用を確認
- 文書化: 電力会社別の係数確認結果、計算式の検証
- Scope 3検証(カテゴリ1のみ)
- 購入金額:会計システムから仕入先別金額を抽出(35,600万円)
- 排出原単位:「金属製品」2.84 kg-CO2e/千円を適用
- 計算検証:35,600万円 × 2.84 kg-CO2e/千円 = 35,590 tCO2e
- 文書化: 原単位選択の根拠、計算過程、重要性判断
保証業務の実務チェックリスト
- 契約前の検討
- 保証業務者の独立性と専門的能力の確認
- 算定基準の明確化(GHGプロトコル、ISO 14064等)
- 保証レベル(合理的/限定的)と報酬の決定
- 算定境界と対象の明確化
- 組織境界の設定根拠(出資基準/支配基準)の妥当性評価
- 事業所・施設の網羅性確認
- 対象期間と算定期間の整合性確認
- 内部統制の評価
- データ収集・集計プロセスの文書化状況確認
- 承認・査閲プロセスの有効性評価
- 前期比較・異常値分析の実施状況確認
- 実証手続の実施
- 基礎データ(燃料使用量、電力使用量等)の証憑照合
- 計算式・排出係数の妥当性確認
- 重要性を考慮したサンプル抽出と検証
- 報告書作成時の留意点
- 算定基準の明記と継続適用の確認
- 重要な不確実性や制約事項の記載
- 経営者確認書の入手とISAE 3410.A164の必要事項確認
よくある計算誤りと対処法
排出係数の適用誤り
都市ガスの発熱量換算を忘れるケースが頻出する。都市ガス使用量(m³)に標準発熱量(MJ/m³)を乗じてエネルギー使用量を算出し、そこに排出係数(kg-CO2/MJ)を適用する。この2段階計算を1段階で行うと大幅な誤りとなる。
期間按分の誤り
月次データが暦月ではなく検針期間で記録されている場合、期間按分が必要。3月15日〜4月14日の使用量を3月分として計上すると期間ずれが生じる。按分計算または検針日ベースでの期間調整を行う。
単位換算ミス
排出量の単位がtCO2e、kg-CO2e、MtCO2eで混在すると計算誤りの原因となる。特にScope 3では購入金額が億円単位、排出原単位がkg-CO2e/千円で、最終結果をtCO2eで表示する場合に桁数を間違えやすい。
関連リソース
- ISA 315改訂 リスク識別の実務ガイド: 温室効果ガス算定システムのIT統制評価に活用
- 重要性計算ツール: 保証業務でも重要性の設定が必要
- ISAE 3402 SOCレポート作成ガイド: データ処理委託先の統制評価で参考になる手続