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ISA 710の基本概念
ISA 710.6は比較情報に対する監査人の責任を明確に定めている。監査人の責任は、現年度の監査の一環として、比較情報が重要な点において適用される財務報告の枠組みに準拠して表示されているかを確かめることにある。
この責任には2つの側面がある。第一に、前年度数値が現年度の財務諸表作成基準と整合している。第二に、前年度から現年度への変更が適切に開示されている。
ISA 710.A1は重要な点を指摘している。比較情報に対する監査人の責任は、その情報の性質によって異なる。対応数値として表示される場合と比較財務諸表として表示される場合では、要求される手続きが変わる。
なぜこの区別が重要か
多くの監査チームが見落とすのは、比較情報の性質による責任の違いだ。対応数値の場合、監査人は現年度の監査意見の一部として前年度数値をカバーする。比較財務諸表の場合、監査人は各年度について独立した意見を表明する必要がある。
この区別を間違えると、監査報告書の記載が不適切になる。特に前年度監査人が異なる場合、参照すべき事項と表明すべき意見の範囲が大きく変わる。
対応数値と比較情報の違い
対応数値(Corresponding Figures)
ISA 710.A3によれば、対応数値は現年度財務諸表の一部として表示される。監査人の意見は現年度財務諸表全体をカバーし、対応数値も含む。
対応数値として表示される場合:
比較財務諸表(Comparative Financial Statements)
ISA 710.A4は比較財務諸表を別の取扱いとしている。各年度の財務諸表に対して個別の意見を表明する。
比較財務諸表として表示される場合:
実際の判断
どちらに該当するかは、適用される財務報告の枠組みと表示方法による。IFRS適用会社では通常、対応数値として扱われる。各国のGAAPでは取扱いが異なる場合がある。
- 前年度数値は現年度財務諸表の一部
- 監査人の意見は現年度財務諸表全体(対応数値を含む)をカバー
- 前年度数値に重要な虚偽表示があれば、現年度の監査意見に影響
- 各年度について独立した監査意見
- 前年度数値の虚偽表示は前年度の意見修正
- 現年度の意見は現年度のみをカバー
前年度監査人が異なる場合の手続き
ISA 710.13は前年度監査人が異なる場合の特別な要件を設けている。現年度監査人は前年度監査人とコミュニケーションを行い、前年度の監査に関連する事項を把握する必要がある。
必要なコミュニケーション
ISA 710.A19は具体的なコミュニケーション事項を列挙している:
前年度監査人への照会事項:
クライアントからの入手事項:
文書化要件
ISA 710.A20は文書化すべき事項を特定している。前年度監査人とのコミュニケーション内容、受領した情報、それに基づいて実施した追加手続きを記録する。
前年度監査人が応答しない場合、ISA 710.14はその事実と実施した代替手続きの文書化を求めている。単に「回答なし」と記載するだけでは不十分。どのような代替手続きで前年度数値の適切性を確かめたか示す必要がある。
- 前年度財務諸表に影響する重要な事項の有無
- 前年度の内部統制の重要な不備
- 不正や法令違反の疑い
- 経営者との重要な意見相違
- 前年度監査人とのコミュニケーション記録
- 前年度の経営者確認書のコピー
- 前年度監査人からの指摘事項一覧
- 前年度の監査調書における修正済み・未修正の虚偽表示の集計表(ISA 450.12に基づき、繰越される未修正虚偽表示が当年度の重要性判断に影響するか評価するため)
実務例:修正再表示への対応
> 中川精密工業株式会社の事例
売上高:185億円(前年度:172億円)
製造業、東証プライム上場
前年度監査人:異なる監査法人
当年度中に前年度の売上計上誤り(12百万円)を発見
ステップ1:重要性の評価
前年度の全体的重要性:172億円 × 5% = 8.6億円。発見された誤り12百万円は前年度の重要性を下回る。ただし、質的要因を検討する。
文書化ノート:前年度重要性8.6億円に対し、発見誤り12百万円(1.4%)。量的には重要性以下だが、売上計上の性質上、質的重要性を検討
ステップ2:前年度監査人への照会
ISA 710.13に従い、前年度監査人に書面で照会する。売上計上プロセスで発見した事項、関連する内部統制の評価結果、類似の事項への対応状況を確認。
文書化ノート:2024年3月15日付で前年度監査人(田中監査法人)宛に照会状送付。売上計上誤り12百万円の性質、前年度監査での関連手続き、内部統制不備の有無を照会
ステップ3:修正再表示の妥当性検討
経営者は前年度財務諸表の修正再表示を提案。ISA 710.9(b)により、修正再表示が適用される財務報告の枠組みに準拠しているか検討する。
文書化ノート:会計基準第24号「会計上の変更及び誤謬の訂正に関する会計基準」第27項に基づく修正再表示。重要性判定、開示要件への準拠を確認
ステップ4:監査報告書への影響検討
ISA 710.11により、修正再表示が適切であれば監査意見への影響はない。ただし、修正再表示の事実を強調事項段落で記載することを検討。
文書化ノート:修正再表示は適切に処理され、現年度の監査意見(無限定適正意見)への影響なし。強調事項段落での記載は不要と判断
結論:修正再表示は適切に処理され、前年度監査人からの回答も得られた。現年度の監査意見は無限定適正意見とする。比較情報に関する特別な記載は不要。
実務チェックリスト
以下のチェックリストを現在の監査業務で使用できる:
- 比較情報の性質確認 - 対応数値か比較財務諸表かを適用される財務報告の枠組みで確認する(ISA 710.6)
- 前年度監査人が異なる場合の手続き - ISA 710.13の要件に従い、書面による照会と必要な情報の入手を完了する
- 修正再表示の検討 - 前年度数値の修正が発見された場合、ISA 710.9に従って修正再表示の適切性を評価する
- 重要な虚偽表示への対応 - 比較情報に修正されない重要な虚偽表示がある場合、ISA 710.10に従って監査意見への影響を検討する
- 文書化の完了 - 実施した手続き、前年度監査人とのコミュニケーション、判断根拠をISA 710.A20の要件に従って記録する
- 最重要点:前年度監査人が異なり、かつ比較情報に問題がある場合、追加手続きなしに監査意見を形成してはならない
よくある不備
• 前年度監査人への照会不備 - 形式的な照会のみで、具体的な監査上の論点について確認していない
• 修正再表示時の検討不足 - 修正再表示の適切性について、適用される会計基準への準拠性を十分検討していない
関連コンテンツ
- 監査意見形成プロセスガイド - 比較情報が監査意見に与える影響の評価方法
- 監査調書管理ツール - 前年度監査人とのコミュニケーション記録の標準化
- ISA 320重要性ガイド - 前年度数値の修正における重要性判断の応用