仕組み
IAS 37第14項は引当金の認識要件を3つ定めている。(1) 過去の事象から生じた現在の債務が存在する、(2) その債務の決済に経済的便益の流出が要求される可能性が高い、(3) 当該債務の金額について信頼性のある見積りができる。この3要件のすべてが満たされなければ、たとえ経営者が引当金として認識していても、監査人はそれを異議異存(AIM: Audit Issue for Management)として指摘する必要がある。
測定については、IAS 37第36項と第37項が異なるアプローチを許容している。大量の類似債務(製品保証請求、返品、数量紛争など)の場合、IAS 37第36項は期待値法を求める。確率加重平均を算出する。対照的に、単独の債務(特定の訴訟、一括解雇計画など)にはIAS 37第37項が最頻値法を許容する。ただしこの項は、他の結果の可能性も考慮するよう求めている。同じインプットデータでも測定方法により結果が大きく異なる可能性があり、手法の選択は意図的に行う必要がある。
さらに、IAS 37第47項から第52項は引当金の開示を詳細に規定している。金額だけでなく、見積りを行った際の主要な仮定、不確実性の程度、経営者判断の本質も記載する必要がある。監査人はこれらの開示が適切かつ十分かを評価する際に、IAS 37.A48から A.57の応用ガイダンスを参照する。
実務例:田中工業株式会社
田中工業は精密機械部品の製造企業。2024年度、売上は8億円、従業員200名。IFRS任意適用企業。
ステップ1:過去の事象の特定
2024年9月、経営者は1つの顧客との製品瑕疵に関する民事訴訟を提起された。その顧客との過去の販売額は約2,000万円。経営者はこの事件を「見込み」として「その他の注記」に記載していた。IAS 37第14項(a)に照らすと、訴訟提起という明確な過去の事象が存在している。監査調書:「訴訟提起日2024.9.15確認。訴訟提起状の謄本を取得した」
ステップ2:債務の可能性の評価
経営者の顧問弁護士は、「敗訴の可能性は高い。賠償請求額は8,000万円を超える可能性がある」という意見書を提出した。これはIAS 37第14項(b)の「可能性が高い(probable)」を満たす。経営者はこれまで「見込み」としていたが、可能性が高いという客観的評価がある限り、引当金に変更する必要がある。監査調書:「弁護士意見書より、敗訴可能性をhighと評価。IAS 37.14(b)の要件を満たす」
ステップ3:金額の見積りと信頼性の評価
弁護士が示した賠償請求額は「8,000万円から1億2,000万円」という幅である。IAS 37第37項が許容する最頻値法をここで適用するかどうかかが判断ポイント。田中工業の事件は単独の訴訟なので最頻値法の対象。弁護士の経験上、類似事件での平均判決額は9,000万円。これを最頻値として9,000万円を引当金として計上する。監査調書:「単独訴訟のため最頻値法を適用。弁護士経験に基づき9,000万円を引当金として計上。予想虐偽表示額(計画段階で設定した5,000万円)を超えており、追加的なサンプリングを実施した」
ステップ4:開示の確認
経営者は財務諸表注記に「訴訟に関する引当金9,000万円」と記載し、その次に「金額は弁護士意見書に基づき最頻値法で見積もった。敗訴の可能性は高いが、最終的な判決額には不確実性が存在する」と記載した。これはIAS 37第47項の開示要件を網羅している。監査人はこの開示が経営者の判断と、監査証拠(弁護士意見書)の両方を反映しているかを検証する。
結論:この引当金は、3要件をすべて満たし、測定方法は標準的で、開示も十分である。監査人の異議は発生しない。
監査人と実務家がよく間違える点
- Tier 1(検査指摘):日本の監査業務のうち、約3分の1で引当金の認識または測定に関する不十分な証拠が指摘されている。特に「見込み」と「引当金」の区別が明確でない調書が目立つ。IAS 37第14項は「可能性が高い」という閾値を定めているが、何を根拠に「高い」と判定したかを記録しないチームが多い。
- Tier 2(基準適用の落ち度):IAS 37第36項と第37項で異なる測定方法が許容されているが、方法の選択根拠を記載しないケースが散見される。「期待値法と最頻値法のどちらを選んだのか、なぜか」が調書に出ていない場合、監査人は経営者の判断の合理性を評価できない。
- Tier 3(文書化の慣行ギャップ):引当金の開示では、金額と見積り根拠は記載されることが多いが、「不確実性の程度」の記載が省略される傾向がある。IAS 37第48項(b)はこれを明示的に要求しており、監査人はこの欠落を指摘する必要がある。
関連用語
- 偶発債務(IAS 37第27項):引当金の認識要件は満たさないが、開示が必要な債務。可能性が「可能性が高い」未満、または金額が見積もることができない場合。
- 経営者の見積り(ISA 540):引当金は経営者の見積りの一形態。監査人はISA 540で定められた手続によって、この見積りの合理性を評価する。
- 後発事象(IAS 10):決算日後に訴訟が和解した場合など、調整事象に該当するか、開示事象に該当するかを判断する際に重要。
- のれん(IAS 36):減損テストの過程で、のれんが引当金の計上に影響を受けることはない。引当金と減損評価は独立した評価である。
- リース負債(IFRS 16):リース契約から生じる確定的な債務。これは引当金ではなく、リース負債として認識される。
- 従業員給付(IAS 19):退職給付債務。これも引当金の一種だが、IAS 37ではなくIAS 19で規定される。
ciferi引当金計算機
監査人がIAS 37の3要件を体系的に評価するためのツール。弁護士意見書、経営者の見積り、過去の類似事件データを入力すると、引当金の認識の可否、測定方法の適切性、開示の要件チェックリストが自動生成される。引当金評価ツールにアクセス。
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