目次
1. ISA 240改訂版の変更概要 2. 職業的懐疑心要件の根本的変更 3. 不正リスク評価プロセスの変更 4. 実例:改訂版適用後の監査手続 5. 実務チェックリスト 6. よくある対応ミス 7. 関連情報
ISA 240改訂版の変更概要
施行日と適用範囲
ISA 240改訂版は2026年12月15日以後開始事業年度の監査から適用される。早期適用も認められている。改訂は以下の主要分野に及ぶ。
1. 職業的懐疑心の発揮方法(ISA 240.22-24改訂) 2. 不正リスクの識別・評価手続(ISA 240.28-35新設・改訂) 3. 監査調書の文書化要件(ISA 240.50-52拡充)
なぜ改訂されたのか
IAASB(国際監査基準審議会)の2023年調査では、既存のISA 240に対し2つの批判が寄せられていた。第一に、職業的懐疑心の要求が「可能性を検討する」という受動的な表現にとどまっていること。第二に、不正の兆候が発見された場合の対応手続が不明確なこと。
改訂版はこれらの課題に対し、より積極的な監査を要求する。監査人は不正の可能性を単に検討するのではなく、疑いを持って証拠を評価しなければならない。
職業的懐疑心要件の根本的変更
改訂前と改訂後の比較
改訂前(現行ISA 240.22)では、監査人は不正による重要な虚偽表示リスクを評価する際、取得した情報が不正を示唆している可能性を検討しなければならないとされていた。
改訂後(ISA 240改訂版.22)では、取得した情報を疑いを持って検討し、その情報が不正を示唆していないかを積極的に評価しなければならないとなる。
経験上、この差は調書の書き方に直結する。「検討した」で済んでいた記載が、「何を疑い、どう追加手続で解消したか」まで求められるようになるんですよ。
実務上何をしなければならないか
改訂版では、以下の行動が求められる。
1. 証拠評価の姿勢転換
従来の「可能性検討」から「積極的疑念」への転換である。異常な仕訳について、従来は「これが不正である可能性を検討する」で足りていた。改訂版では「なぜこの仕訳が正当なのかを疑いを持って確認する」ことが必要になる。
2. 反証の能動的探索
ISA 240改訂版.24は、経営者の説明や証拠が矛盾していないかを積極的に確認することを求めている。単に説明を受けるだけでなく、その説明を裏付ける独立した証拠を探索する。前提として、経営者の説明を鵜呑みにしない姿勢が出発点だ。
3. 文書化の深度向上
ISA 240改訂版.52は、職業的懐疑心をどのように発揮したかの文書化を求めている。「検討した」ではなく「どのような疑念を持ち、どのような追加手続を実施したか」を調書に残す。
不正リスク評価プロセスの変更
リスク識別手続の強化
ISA 240改訂版.28では、不正リスクの識別において以下の手続が新たに要求される。
1. 業界・事業特性の深堀分析
被監査会社の特定の事業モデルにおける不正機会を分析する。サブスクリプション収益モデルの会社であれば、解約率の操作や架空の顧客登録に焦点を当てる。単に業界の不正事例を調べるだけでは足りない。
2. 内部統制環境の批判的評価
ISA 240改訂版.31は、内部統制の整備状況を額面通りに受け取ることを禁じている。統制が文書化されていても、実際に機能しているかを疑いを持って確認する必要がある。
3. 分析的手続の拡充
改訂版では、予備的分析的手続において、単に前年比較や予算比較を行うだけでなく、不正の兆候を示すパターンを積極的に探索することが求められる。
リスク対応手続の変更
不正リスクが識別された場合の対応手続も大幅に変更される。
統制テストの限界認識(ISA 240改訂版.36)として、経営者による統制の無効化可能性を前提に、統制テストだけに依存することが禁じられた。実証手続を必ず組み合わせる。
予測不可能な手続の導入も新たな要求事項となる。従来と異なる手続やタイミングを意図的に採用し、監査手続の予測可能性を排除する。正直、SALYのまま同じ手続を同じ時期に繰り返していたら、この要件は満たせないだろう。
実例:改訂版適用後の監査手続
企業概要 山田製造株式会社(東京都)。自動車部品製造業。売上高85億円、従業員280人。主要取引先は自動車メーカー3社。前期に主要取引先の1社を失い、売上が12%減少。
改訂前の手続例
リスク識別段階では以下の手続を実施していた。
1. 経営者・統制担当者へのインタビュー実施 2. 前期比分析的手続の実施(売上減少12%を確認) 3. 経営者に売上減少の理由を質問 4. 文書化:「取引先喪失による売上減少は合理的と判断」
リスク対応段階の手続は次の通り。
1. 売上取引の詳細テスト(サンプル25件) 2. 売上計上基準の確認 3. 文書化:「売上に重要な虚偽表示は検出されず」
これで終わっていた。
改訂後の手続例(ISA 240改訂版適用)
リスク識別段階では手続が大幅に変わる。
1. 経営者・統制担当者へのインタビューに加え、製造部門・営業部門の中間管理者にも個別聞き取り実施 2. 月次推移分析により、取引先喪失の時期と売上減少パターンの整合性を検証 3. 競合他社の売上動向と比較し、業界全体の影響か個社要因かを分析 4. 失注取引先以外の売上単価・取引条件の変動を詳細分析 5. 文書化:「取引先喪失時期と売上減少のずれに疑念。4月に失注したが売上減少は6月から。この2か月差の原因を追加調査する必要がある」
リスク対応段階も同様に深度が増す。
1. 売上取引の詳細テスト(サンプル40件、失注前後の期間に重点配分) 2. 失注取引先向け売上の期間帰属テスト(3月-5月取引を全件確認) 3. 新規取引先の実在性確認(企業登記、取引実態の独立確認) 4. 営業部門の売上目標達成プレッシャーに関するリスク評価 5. 期末在庫の実地棚卸立会(架空売上による在庫減少の可能性を疑って実施) 6. 文書化:「失注公表前の3-4月に当該取引先向け売上が異常に増加。出荷記録と照合した結果、一部について出荷実態が確認できない取引を発見。追加手続として、運送業者への確認状送付を実施」
改訂版では、「減収は合理的」で片付けず、減収のパターンと原因に積極的な疑念を持つ。この事例では、2か月のずれという具体的な疑問から出荷実態の不一致という発見につながった。
実務チェックリスト
1. 監査計画段階で不正リスクブレインストーミングを実施し、業界・事業固有のリスクシナリオを最低5つ作成する。各シナリオに対する具体的な監査手続を事前設計すること
2. リスク評価段階では、経営者説明についてISA 240改訂版.24に基づき必ず独立した裏付証拠を取得する。説明のみで結論しない
3. 実証手続段階では、予測不可能性を確保するため、前年監査と異なる抽出方法・テスト項目を最低2つ採用する。実施時期もずらす
4. 文書化では「検討した」「確認した」ではなく「どのような疑念を持ち、どのような追加手続でそれを解消したか」を具体的に記録
5. 品質管理として、監査調書レビューにおいて職業的懐疑心の発揮状況を具体的に確認する項目を追加する
6. 改訂版の本質は手続の追加ではなく、監査人の思考プロセスの転換である。「疑いを持つ」ことを監査チーム全体に浸透させる。これが一番難しい。
よくある対応ミス
- 手続の追加のみに注力する。 改訂版の要求は単なる手続追加ではなく、既存手続における懐疑心の発揮方法の変更である。従来手続を疑いを持って実施することが中核であり、新しい手続を上乗せするだけでは意味がない。
- 文書化の表面的対応。 「職業的懐疑心を発揮した」という一文を調書に書くだけでは不十分だ。具体的にどのような疑念を持ち、どう対応したかの記録が必要であり、CPAAOBの検査でもこの点が確認される。
関連情報
- 不正リスク評価ツール - ISA 240改訂版に対応した不正リスク識別・評価のためのワークシート - 職業的懐疑心 - 改訂版で強化された職業的懐疑心の定義と実務上の発揮方法 - ISA 315改訂版との関係 - リスク評価基準との連携による不正監査の進め方【今後掲載予定】